3月13日 朝6時
「おはようございます…」との声で目覚めると、そこには講習を一緒に受けていた学生さんのお父様が


息子さんを心配して、遠くから車を飛ばして迎えに来てくれたのでした。
そしてご厚意により私も東京まで同乗させていただけることになり、あっけないほど簡単に被災生活は終わりを告げたのです。
お世話になったコミセンの方々に御礼を言い、避難者リストの自分の名前の横に「帰宅」と書いて、予定より1日遅れで東京に向かいました。
東海村では全ての信号が消えていたので、途中から信号がついた時には「おおっ!」と思いました。
さらに東京に近づいていくと営業しているお店が増えてきて、都内に入った時には普通の状態に見えました。
羽田空港ではきれいな店員さんがいるきれいなお店がきちんと営業していて、試食品もあって、昨日コンビニに3時間並んでバームクーヘン買ってたことが信じられないくらいでした。
そして…地震後初めて映るテレビを待合室で見て、腰を抜かすくらい驚きました。
私の育った街が津波に飲み込まれる映像が流れていたからです。
なんというか…あのときの気持ちは表現できないですね。
あの日からもうすぐ1年が経とうとするというのに、いまだ避難者の数は34万人を超えています。
一日も早く復旧し、皆様に心穏やかな日が戻りますことを心よりお祈りいたします。
最後に、私信を書かせてもらいます。
震災後の避難生活でともに行動してくれた受講仲間のSさん、Kさん(注:助さんと格さんではありません)、
本当にありがとうございました。
あのとき御礼もきちんと出来ず、連絡先も聞かぬまま東京で別れてしまいましたが、無事家に帰って子供達に会えました。
宮城の実家の家族もなんとか無事でした。
お二人が一緒に行動してくれたおかげで、心細い避難生活でも泣かずにいられました。
本当にありがとう。
避難所で大富豪(トランプ)をしたことも、今は良い思い出です。
お互い、立派な放射線取扱主任者になろうね。
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